レーシングドライバーの佐藤琢磨さんがフリーアナウンサーの内藤聡子さんと7年不倫関係にあることがわかりました。
これは、明日発売の週刊新潮に2人の関係について書かれた記事が掲載されているそうです。そこで2人について、調べてみました。その内容を画像付きで紹介します。
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佐藤琢磨 プロフィール紹介!
まず、佐藤琢磨さんのプロフィールを紹介します。
(引用元:Wikipediaより)
名前:佐藤 琢磨(さとう たくま)さん
出身地:東京都新宿区
生年月日:1977年1月28日
年齢:40歳
血液型:A型
最終学歴:早稲田大学人間科学部中退
佐藤さんは、海外で活躍する日本人レーシングドライバーで、2002年から2008年までF1に参戦
2010年からはインディカー・シリーズに参戦。そして今年2017年に、アジア人として初めてインディ500で優勝を果たしています。
佐藤さんが、モータースポーツに興味を持ったキッカケは、10歳の時に鈴鹿サーキットで初めてF1を観戦した時に、強い憧れを持ったことだったそうです。
そして、私生活では、2005年に同い歳の嫁と結婚、現在は2人の子供もいらっしゃるそうです。
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内藤聡子(佐藤琢磨の不倫相手) プロフィール紹介!
続いて、内藤聡子さんのプロフィールを紹介します。
(引用元:内藤聡子 公式ブログより)
名前:内藤 聡子(ないとう さとこ)さん
出身地:山梨県甲府市
生年月日:1974年11月3日
年齢:43歳
血液型:AB型
最終学歴:法政大学経営学部経営学科卒業
内藤さんは、高校在学中からモデルとして活動、大学に進学してからアナウンサーを目指すようになります。
そして、1995年内藤さんが大学3年生の時に、『ニュースステーション』のお天気キャスターに抜擢されます。この番組は生放送だったこともあり、毎日緊張しながら原稿を読んでいたそうです。
就職活動では、フジテレビ、テレビ朝日を受験しますが、最終面接までいきますが、不合格になってしまいます。
その後は、フリーとしてキャスターなどとして活躍。2000年には気象予報士の資格を取得。気象予報士としてもメディアに出演。
2010年4月からは、TOKYO MXの『5時に夢中!』に月曜日〜木曜日までアシスタントとして出演。
2016年に同番組を降板すると、自身のブログで海外移住を報告していました。
内藤さんが、「5時に夢中」でアシスタントを勤めていたときの様子がこちら
内藤さんの卒業コメント。
木曜レギュラー陣も動揺を隠しきれてない様子…
内藤さんはとにかく、この一時間よく耐えて頑張ってくれたなって思います😭#gojimu #内藤聡子 pic.twitter.com/JGzR9wzp6F— しんたん📎 (@shintan_sy) 2016年3月3日
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佐藤琢磨 内藤聡子と不倫(画像あり)! 2児のパパは美人アナウンサーが好きだった!
週刊新潮が2人の姿を目撃したのは、11月4日のこと。
佐藤選手の車から嫁とは異なる女性が降りてきたそうです。そう、その女性が内藤さんでした。
そして2人は同じマンションへ入っていく姿を目撃。この日以外にも、たびたび、同様の光景を新潮は目撃したそうです。
実は、内藤さんと佐藤さんは、すでにマンションで同棲していると新潮は報じます。
そして、新潮は佐藤さんを直撃。2人が一線を越える関係になった時期について直撃します。
10年秋、ラジオ番組で一緒になって盛り上がり、僕のレースを番組で応援に行くということにもなって仲良くなった。
(不倫関係になったのは)それから数カ月後ですかね
(引用元:デイリー新潮より)
と2010年頃から不倫関係であることを認め、記者が嫁が不倫をどう認識しているのか尋ねると
内藤さんのことは12年夏ごろに知られて、その時期に離婚に向けての話をしたのも事実です。
ただ、正直な話、非常に悩んでいます。僕のレースを内藤さんが支えてくれた部分は確実にありますが、一方で、子供への思いも大きい
(引用元:デイリー新潮より)
と嫁とは離婚に向けて、話し合いを進めていることも明かしました。
そして、2人のツーショット画像を入手しました。
(引用元:デイリー新潮より)
これは、内藤さんが、早朝に空港へ向かう佐藤選手を見送る姿を捉えたものです。
そして現在公開されている動画がこちら
これは、バッチリとツーショットを捉えていますね。
明日発売の記事では、佐藤さんの嫁の知人の証言が掲載されているそうで、佐藤さんの証言と食い違う部分があるそうです。
また、記事を手に入れたら、追記していきますね!
佐藤琢磨 週刊新潮 警察監視下で荷物を運んでいた! *11/16追記
週刊新潮の記事よると、佐藤選手は00年頃に嫁と出会い、長男を授かったことで05年に結婚。
結婚した当時は、佐藤選手はF1参戦を目指し、F1の下のF3でチャンピオンを目指し、イギリスに渡って参戦していたそうです。
その時にお嫁さんも渡英して、それからずっと佐藤選手を支えてきたそうです。
しかし、2人の仲が曇り始めたのは、12年頃に子供達の教育のために、お嫁さんが帰国したことで、少しずつ、すれ違うようになっていったようです。
しかし佐藤選手は、新潮の取材で嫁に対してこんな証言をしています。
下積み時代から僕を支え、2人の子供を見ていてくれた妻には感謝しているし、家族には迷惑をかけているという思いは常にあります。
(引用元:週刊新潮記事より)
と語っていました。感謝や家族に迷惑をかけていることが分かっていても、内藤さんへの思いはそれ上回るということなのでしょうか。
そして、嫁の知人のこんな証言も載っていました。
琢磨さんは不倫しながらも、6月まではよく帰宅していたのに、夏から急に帰らなくなり、“別居しているよね”と
別居を既成事実化する発言が増えたとか。彼女は不安なようです。
(引用元:週刊新潮記事より)
ここで、記事では離婚問題に詳しい弁護士が登場。その解説では、別居中に築いた財産は、財産分与する必要がないので、財産分与の額を減らしたい側が、早い段階で別居状態だったと主張することもあるそうです。
また、佐藤選手は、こんな発言もしていました。
内藤さんも、こういう状態が続くのは本意ではないんです。
彼女の結婚願望も感じないわけじゃない。
早く決着をつけるのが筋だったというのは、その通りです。
(引用元:週刊新潮記事より)
そんな佐藤選手と内藤さんの姿を捉えた記事の画像がこちら
(引用元:週刊新潮記事より)
そして、週刊新潮の記者は、取材中に佐藤選手が家族が住む自宅に帰宅したところ、数人の警察官が佐藤選手の自宅に入るという光景を目撃。そのことについても佐藤選手に尋ねます。
(佐藤選手)あの日は長男の運動会で、さらに長女の誕生日でお祝いをしたかったのですが、僕が歓迎されていない状況だから、そのまま帰ろうと思ったんです。でも、どうしても荷物の運び出しが必要で、家に入って荷物を整理していたら、そこに義理の父がきて、何しているんだと。代理人の許可なく家に入ったということで義父と言い争いになって、結局、警察の監視下で荷物を運び出されてもらったということです。
(引用元:週刊新潮記事より)
一方で、佐藤選手の嫁は
主人から何の連絡もないので、今は話せません(引用元:週刊新潮記事より)
と証言していました。
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