みなさん、こんにちわ!
本日の内容は、作曲家の曽根幸明さんが、20日 肺炎のため
死去していたことがわかりました。曽根さんは、脳梗塞や、心筋梗塞、ガンになっても生涯作曲家として曲を作ろうとしていたそうです。
今日はそんな曽根さんの生涯作曲家を貫いた人生に迫りたいと思います!
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曽根幸明 肺炎で死去していた!
作曲家の曽根幸明さん(83)が、20日、肺炎のため、亡くなっていたことがわかりました。
明日からのひるのいこいは、曽根幸明追悼特集かな?だとすれば追悼が3週続きますね。
作曲家の曽根幸明さん死去 | 2017/4/23(日) – Yahoo!ニュース https://t.co/WciKOuYevH #Yahooニュース#ひるのいこい— あさきかずや@アサキミュージック (@angel_harp) 2017年4月23日
曽根さんといえば、1970年に発表された藤圭子さんの「圭子の夢は夜ひらく」や森進一さんの「銀座の女」などのヒット曲で知られ、親しみやすいキャラクターからテレビやラジオでも活躍しました。
そんな曽根さんは、病気治療のために一線は退いた後も創作活動を続けていたそうで、
娘さんの話によると、脳梗塞を起こし半身不随になっても、懸命なリハビリを行い、体が動く片手で曲を作っていたそうです。
また、曽根さんは脳梗塞以外にも、心筋梗塞、心臓のバイパス術、前立腺ガン、敗血症、帯状疱疹、糖尿病とさまざまな病気と闘いながら、生涯作曲家を貫いたそう!
本当に曽根さんにとって作曲家は、天職だったんですね!
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曽根幸明 肺炎で死去!このニュースに対する世の中の反応は!?
次に曽根さん死去に対する世の中の反応を紹介したいと思います。
まずはYahoo!ニュースより
ヘッドフォンを片耳に充て、審査員をしている光景が記憶に残っています。
こうして久しぶりに聞く名前は、訃報での記事。
なんだか寂しい。
昭和の演歌界を支えた人物。
御冥福をお祈り申し上げます。
テレ朝の深夜にやってたENKA TVって番組の
演歌ゴーズ・トゥ・ザ・ワールドってコーナーで
曽根先生がキーボードを弾きながら洋楽ヒットを
演歌調に歌うコーナーが大好きでした。
面白い番組だったなぁ…。
続いては、ツイッターでの反応を紹介。
曽根先生にお会いする事はなかったけど、お嬢様や奥様は昔、何度かお会いした事があっただけに御家族の心中お察しします。合掌
「圭子の夢は夜ひらく」作曲家・曽根幸明さん死去 娘の歌手・曽根由希江が明かす : スポーツ報知 https://t.co/I84FItyJiZ— 哲五朗親分/哲ちゃん (@tecchan110) 2017年4月23日
曽根幸明さん死去。フランク・シナトラにジミー・ヴァン・ヒューゼンがいたように、勝新太郎には曽根さんがいた。しかも曽根さんは、あの勝新ヴァージョンの「サニー」の訳詞も書いている。心に太陽を・・・
—
原田和典
HaradaKazz (@KazzHarada) 2017年4月23日
曽根幸明・作『男が死んで行く時』唄・安藤昇。 オレが死んでいく時 泣く奴千人 笑う奴千人 知らぬ素振りが千人か まとめてアバヨを言わして貰うぜ お見事! 男の鏡。合掌。
— 三上寛 (@nagarerukumowas) 2015年12月20日
曽根幸明が亡くなったとのこと。一連の「夢は夜ひらく」シリーズ、水原弘「慟哭のブルース」、青江三奈「札幌ブルース」、勝新太郎「いつかどこかで」、安藤昇「男が死んで行くときに」、杉良太郎「江戸の夜明け」…どこか哀愁さ漂うメロディーを書くのが上手い人だった。合掌
— 昭和のピン (@okutaka_pin) 2017年4月22日
やはり、曽根さんの訃報を悲しむ声が多く挙がっていました。
また1人、昭和の名作曲家が旅立ってしまいましたね。
改めて、ご冥福をお祈りします。
本日も最後までお読み頂きありがとうございました。
では、また!
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