皆さん、こんにちわ!
本日の内容は、前回の続きで、浅田真央選手の引退記念番組の模様を
お伝えしたいと思います!亡き母への思いや、これからのことについても語っています。気になる内容をさっそく見ていきましょう!
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浅田真央 引退記念番組で亡き母への思い語る!
20歳のシーズン、佐藤信夫コーチの元で再スタート
そんななか、人生最大の試練が・・・・・
母が危篤。グランプリファイナルのため、カナダにいた浅田選手は緊急帰国。
しかし間に合わなかった。ネット上では肝硬変だったと噂があります。
スケートをするきっかけを作ってくれた母、ずっとそばにいてくれた母
いつだって浅田選手を笑顔に導いてくれた。
そんな中、2週間後の全日本選手権への出場を決めた。
そして全日本で見せた奇跡。
浅田選手は強いですね!!
ブログで引退を発表したその日、久しぶりに番組で再開する浅田舞・真央姉妹。
浅田姉妹と母はいつも一緒だった。
母が真央が引退する時に見せて欲しいと記者に渡したビデオがあった。
そのビデオを二人で見ることに
浅田姉妹の成長の過程がディズニーランドに行ったときやピアノの発表会、七五三、入学式など
二人の幼い時の映像がすると真央の目に涙が
その後も懐かしの映像が、懐かしの映像に物思いにふける二人。
真央さんは、小さい頃からいろんなことがあったなーとコメント。
自分一人ではできなかった、たくさんの人の支えが
あってこそここまでやって来れたと振り返る。
大人になって自分たちに母の時間を使ってもらい、
プライベートの母の時間がなかったことに気づいた。
自分のことよりも子供優先だったことに感謝しているという。
母には引退についてはどう話しているのかと記者が尋ねると、
浅田選手は、母の姉から聞いたことは
自分が嫌になったら、いつでも辞めていいと言っていたと聞いている。
今まで頑張って来たから、好きにしていいんだよと言っていると思う。
と答えた。
母が亡くなってから2週間後
2011年全日本選手権フリーに出場した浅田選手は、
「愛の夢」という曲で演技をした。
当時を振り返り、出るしかないと思っていた。
どこかで母がいてくれると思った。助けてくれると思った。
この時は最後まで滑り切れればいいと思って滑っていた。
そのくらいの体も心もボロボロの状態だった。
みんなが応援してくれていると思っていた。
続けて浅田選手は
とにかく「愛の夢」だから、スケートを通じて母に愛を捧げられたらなと思っていた。
一番近くにいると思っていたと語っている。
ここで記者が姉の舞さんにコメントを求めると
舞さんは少し泣き、
いろんなことがあったなと。
(真央さんは)21年間、全部がフィギュアスケート中心の生活だった。
苦しかったこともあったと思う。
でも、本当に見ている人たちは浅田真央選手から
いい時も悪い時も諦めない気持ちだったり感動をもらった、
感謝しているのは私だけではないと思っている。
妹じゃないみたいで、すごいなと。
これからは自由な時間も増えると思うので、姉妹の時間を大切にして、
ゆっくりと次の道に進んで言って欲しい。とコメントした。
続いて、真央さんは
こうして本格的には初めて、
舞からメッセージをもらってこれまで一緒に頑張って来てよかったなと思った。
今回の決断は、人生の一つの決め事だと思っている。
お互い、助け合いながら一緒によろしくお願いします。
といい二人は握手をしてぎゅっと抱きしめあいました。
母親を若くしてなくし、二人で助け合っていたんですね!
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浅田真央引退! あのソチで見せたフリー演技から今後について語った!
母を亡くした翌シーズン、
その前の2シーズンは思うような結果が出なかった浅田選手は思い悩んでいたそう。
浅田選手が15歳の頃から振り付けを担当しているローリー・ニコル振付師は心ここにあらずといった感じだった、真央をどうやったら救えるのか。そう考えていたと話しました。
そこでローリーさんは
カナダの自宅に浅田選手を招き、自然の中で過ごした。
もう一度、スケートの楽しさに気づいて欲しい。
そういう願いを込めて「アイ・ガット・リズム」この明るい曲を聴かせた。すると浅田選手は自然と変わっていたそう。
ローリーさんは、
天国の母の思いが分かっていたという
ただ浅田選手にスケートを楽しんで欲しい。ただそれだけ。
「アイガットリズム」が見事、浅田選手を復活させた。
そして2年ぶりにトリプルアクセルを決めた
演技をしている真央さんを見て、舞さんはとても楽しそうとコメント。
笑顔を取り戻した浅田さんは2度目の五輪シーズンを迎える。
2度目の五輪はなんと誰も予想しなかったショート16位
翌日のフリーでこれこそが浅田真央!というような奇跡を起こします。
このシーズン初めてトリプルアクセルを決めると、その後も完璧な演技。
これには、全世界が感動。
会場で見ていた羽生も高橋大輔も泣きそうになるくらいの演技だった。
そして五輪後に、行われた2014年世界選手権
見事、ショートで世界最高得点を叩き出し、1位に!
大歓声を力に、応援に応えたいという思いがパワーになっていた。
ソチ五輪を終え、休養を経てからの復帰について
今もしも復帰してなかったら、まだやれると思って後悔が残っていたと思う。
挑戦して、自分が感じて出した決断(引退)なので前に進める。
1年間の休養。
2015年、復帰
若い選手との戦いの場だった。
その年の全日本選手権の会場に姉・舞さんの姿があった。
2015年の全日本が最後になるかもしれないという思いだった。
涙ながらに試合を見る舞
演技後、真央も涙が
最年長25歳で出場し3位
1試合終わるごとに引退が近づいてくる。
存在そのものが若い選手の成長につながる。
一人戦い続けた。
そして最後の試合。
最後まで挑み続けた。
そして番組では思い出の場所、中京大のリンクへ
その時流れていたのは「素敵なあなた」
これは浅田選手が以前、使用していた曲。
ただ本人は忘れていた。笑
ここでよく笑ったり、泣いたり、怒ったりしたと思い出のリンクと話す。
浅田真央の未来は?と聞かれた浅田選手は
「スマイル」
これからの人生、楽しいことも苦しいこともあると思うが笑顔・スマイルを忘れなければ、乗り越えられると思うと語った。
浅田選手、21年間本当にお疲れ様でした。本当に今日は会見も含めて感動しました!
ありがとうございました!
本日も最後までお読み頂き、ありがとうございました。
では、また!
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