本日、11月24日放送の「爆報THE!フライデー」で三島由紀夫さんの妻・平岡瑤子さんの特集があるようです。
そこで、一足先に平岡さんについて調べてみると、平岡さんの家柄、2人が結婚した経緯や仮面夫婦とも周囲から言われていたことも分かりました。それでは、平岡さんに迫っていこうと思います!
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三島由紀夫の妻・平岡瑤子を画像付きで紹介!
ノーベル文学賞の候補にも上がるほどの作家だった三島由紀夫さん。
その生き様でも、その名を世に広めましたね。
今回は、その妻・平岡遙子を紹介します。
(引用元:https://ameblo.jp/fumiakityan/entry-12087150903.html)
平岡さんは、1937年2月13日に日本画家の父・杉山寧と母・元子の間に長女として誕生。
三島さんとの出会いは1958年3月23日
日本女子大学英文科2年生の時にお見合いで知り合います。
お互いに好印象を持った2人
一部では、結婚を決めたのは、三島さんが母が病気で安心させるために結婚をしたとの説もありますが
実際のところは、平岡さんが一目惚れして、結婚を強く望んだとする説が有力のようです。
その後、平岡さんは、格式にこだわる三島家の一存で大学2年で中退。その後、2人は結婚しています。
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平岡瑤子 仮面夫婦と言われるが賢妻だった!
2人は港区元赤坂の明治記念館で結婚式を挙げます。
三島さんは、招待客に対して平岡さんのことを「可愛いだろ」と言っていたそうです。
そして1959年6月2日に長女を、1962年5月2日には、長男が誕生。
子供が生まれた後も2人は、仲が良く、家族4人で旅行にも出かけたそうです。
しかし
1970年、11月25日に三島さんが、いわゆる三島事件で自決。
天国へと旅立ちます。
平岡さんは、公の場に出ることがほとんどなかったそうで、一部では、仮面夫婦なのではとも言われていたそうです。
しかし、平岡さんは夫の死後
「三島瑤子」名義で夫の遺作を世間に発表することに尽力しました。
夫が亡くなってから14年後の1985年に平岡さんは、雑誌のインタビューで
夫を失ってからの14年間について語っていました。
三島が亡くなって十四年、わが家は家具も飾りも、庭にある例のアポロ像も、すべて昔のままです。
ただ、保護者がいなくなった心細さは、痛いほど感じます。はだかで世の中に放っぽり出されたたよりなさ、
と申せばいいでしょうか。(引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E5%B2%A1%E7%91%A4%E5%AD%90)
14年経っても、三島さんが平岡さんにとって大事な存在だったということが分かりますね。
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