先日、乳がんで亡くなられた小林麻央さん。
今日放送された「Oha!4」で麻央さんの特集がありました。そこで語られたのは
麻央さん家族の絆でした。その内容についてまとめてみました。
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小林麻央 海老蔵家族の絆とは!?
6月26日に放送された「Oha!4」では小林麻央さんと家族の絆が特集で放送されました。
「最後の最後まで愛してくれたことに・・・」
と涙ながらに先日、記者会見で語った麻央さんの夫の市川海老蔵さん
麻央さんは以前、テレビのインタビューで
「どんなときも家族が一緒にいられることは大事じゃないかな」
と語っていました。
麻央さんといえば、2年8ヶ月にも及ぶ闘病生活を綴ったブログKOKOROで
多くの人に勇気を与えてきました。
そんな麻央さんの、心の奥底は一体どんな気持ちだったのか
どんな葛藤があったのか
密着取材で見えてきたのは
“家族の絆”
だったそうです。
23日に開かれた緊急会見
海老蔵さんは一言一言絞り出すように答えました。
記者からの
麻央さんのどんな表情が思い出されるかとの質問に対して
どういう表情?
全部ですね。初めてあった時の彼女から今朝の彼女まで全部です。
と語りました。
そんな2人の出会いは、麻央さんのキャスター時代で
麻央さんが海老蔵さんにインタビューしたことがきっかけだったそうです。
この出会いから1年、2人は婚約。
番組ではその当時の海老蔵さんのインタビューの様子が流れ
とにかく僕はずっと(麻央さんを)愛し続けます。
と語っていました。
その後、2010年1月に行われた婚約会見では、麻央さんが
『来世も再来世も一緒にいよう』と言われたときに
すごく嬉しかったです
と話している様子が流れました。
そして麻央さんは、
歌舞伎俳優の妻として生きていく決意をし、
麻央さんはキャスターをやめることになります。
劇場や料亭、お寺への挨拶周りなど今までとは全く違う仕事でしたが
それでも、麻央さんは懸命に仕事をし
しっかりと梨園の妻を務めていきました。
その姿は、海老蔵さんにもある変化をもたらしたそうで
海老蔵さんは
もう麻央がいないとダメな環境
すっげえ、がんばるよね
芝居にもより集中できるし、遊ぶ時間がなくなった
芝居が終わったら、まっすぐ家に帰るし飯もあるし
と語りました。
そこまで海老蔵さんに言わせるんですから、本当に麻央さん、
梨園の妻としての仕事を懸命にされていたんでしょうね。
そして2人には長女の麗禾ちゃん、長男の勸玄くんが生まれます。
海老蔵さんが一年のほとんどを舞台で過ごすため
家族みんなで一緒にいられる時間はとても貴重なものでした。
番組では家族で東京タワーに行ったときの様子が流れており、
海老蔵さんが少し照れながら、
家族4人で記念撮影をしていたのが印象的でした。
4人で迎えた4回目の結婚記念日のインタビューでは
麻央さんは
子どもの誕生に勝るものはない
と答え、
『結婚前後で人生が変わったか?』と質問された、海老蔵さんは
全然違うよ、全然違う
結婚する前、俺どうかしてたもん
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小林麻央 乳がん発覚! 病のおかげで家族の絆は更に深く強く結ばれる!
こんな幸せな時間にある事実が突きつけられます。
それは麻央さんの
“乳がん”
でした。
番組では昨年の6月9日の映像が
海老蔵さんが
麻央さんが乳がんであることがマスコミにスクープされ
緊急会見に向かう様子が流れました。
そこで海老蔵さんは
誰にも言ってなかったからね
(麻央さんの乳がんが)正直に言うと
1年8ヶ月くらい前だから
そして番組は記者会見の映像に
誰よりも一番 本人がつらいと思うんです。
“元気になりたい”という気持ちと
小さい子どもの そばにいられない 母親の気持ち私には計り知れない
つらさ 苦しさと闘っていると思うので
先日の記者会見のときも感じましたが
海老蔵さんの話すことは、すごい心に響くなと感じました。
そして麻央さんは、乳がんであることが発覚した3ヶ月後の昨年の9月から
ブログKOKOROを開始しています。
このブログを始めたのは、少しでも同じ境遇の人の力になりたいという思いからでした。
番組ではそのブログの内容一部が紹介され、
私は
力強く人生を歩んだ女性でありたいから
子どもたちにとって強い母でありたいから
放射線治療を受けたときには
私の場合、
喉の奥の焼けたような痛み、だるさ、
背中と胸の圧迫感から息苦しさがあり、
不安が消せない1ヶ月でした
と過酷な闘病の一方で
家族に対しては
ごめんね
病気になっちゃった妻で。
病気になっちゃった娘で。
病気になっちゃった妹で。きっと、
病気になって、
皆が一番に思う言葉かもしれない。『ごめんなさい。。。』
これに対して海老蔵さんはブログでこう語りかけました。
病のおかげで家族の絆は更に深く強く結ばれる。
ごめんなさい。
なんて1ミクロンも感じていない。
それぞれのブログでは家族で、この闘病生活を乗り越えていく
決意が日々綴られていました。
そして麻央さんは、先月の5月から在宅医療に治療を切り替えます。
それに子どもたちも寄り添い続けました。
息子が
「ママ、苦しいときは、
大きな声で呼べないから、これ、こうやって鳴らしていいよ」
と、ハンドベルを
子供部屋から持ってきてくれました!
小さな子どもの心って
本当に純粋だと思います。ただあとは、ママは元気になるだけ。
そして、場面は先日、23日に海老蔵さんが開いた緊急会見に
麗禾は 昨日は
ずっと 麻央のそばを離れませんでした
勸玄は まだ わかっているんですけれど
わかっていないところもあって今日の朝も
麻央の横になっているところに
2人が 麻央の顔を触ったり 足をさすったり
手を握ったり そういうところを見ていると私が今後 背負っていくものやらなくてはならないこと
子どもたちにとって
とても大きなものがあるなととても痛感しました。
家族を愛し、家族に愛された麻央さんには
叶えたい目標がありました。
役者の宿命を持つ、息子の勸玄くん
麻央さんはガンの告知から1年後、抗がん剤治療をしながらも
息子の晴れ舞台に駆けつけていました。
初お目見えに向けた記者会見では
麻央さんはまぶたに焼き付けるようにその様子を見守っていました。
再び場面は海老蔵さんの先日の記者会見に移り
子どもたちも出演したり
7月も せがれが出るんですけど
そういうのを見に来ることを
1つの目標として
いろんなものを作ったんですけどでもきっと
(麻央さんが)見ていると思うんでね心配で心配で
しょうがないじゃないでしょうか
と語る様子が映し出されました。
そんな家族を愛し、家族に愛された麻央さんは
ブログの最後の記事になった「オレンジジュース」を
こう一言、締めくくっています。
皆様にも
今日 笑顔になれることがありますように
最後の最後まで、他の人への配慮を忘れない麻央さんの姿
本当に麻央さんの人柄を表していますね。
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